日本企業の不祥事の背景

 ここ数年、日本企業の不祥事の話題がマスコミを賑わしている。このことによって長年にわたって築きあげてきた日本品質が地に落ちたという過激なものもある。神戸製鋼や自動車メーカー等における品質基準の遵守に関わる問題は、直接的な事故や死傷者が出たという話ではない。要は、顧客、ひいては社会への約束の反故であり、ルール遵守というコンプライアンスの問題といえる。現場では、ここまでなら、これくらいなら許されるという実質的な判断基準が横行していたのだろう。まさに倫理の問題である。倫理とは行動の善悪を決める基準や原則をいうが、これを組織的に浸透させていく上で重要な要素として、マネジメント層の倫理的判断をする際の基準がある。ひとつは、功利主義的倫理規範である。ここでは成果や結果が唯一の倫理的な判断基準になる。神戸製鋼や自動車メーカーのケースは、この功利主義的倫理規範が歪んで浸透したものといえるかもしれない。本来は、最大多数の最大幸福の実現が功利主義の目指す姿であったはずである。自社都合の成果や結果へのこだわりが現場の職業的倫理観を麻痺させたいい例といえるだろう。続いて、権利の倫理規範がある。これは、言論やプライバシー、承諾の自由などの個人の様々な自由や権利が尊重され、保護されていることを重視するものである。この点から今回の不祥事を見ると、現場の個々人の良心が発揮される自由と権利が尊重されていない風土が育まれていたということだろう。これだけ大規模な組織問題である。誰かが気付いたであろうし、問題提起したはずであることは容易に推測できる。要は、それがまともに受け止めてもらえない職場風土があったという風に理解した方がいいのではないか。その風土を生み出したのは、まさに会社におけるマネジメントの正義感欠如といっていい。その意味では、正義感の倫理規範が崩壊していたともいえるだろう。これは公正公平にルールを導入してそれに従うというものである。

 こうした職場における倫理規範の崩壊は、働く人の職業的自尊心(自らの職務や所属組織への自尊感情=プライド)を著しく傷つけることになる。職業的自尊心は組織的コミットメントと相関があり、業務意欲にも影響を与えるといわれている。この点からすると職場におけるモチベーションにも何らかの影響を与えていたに違いない。また、こうした非倫理的行動は組織内における公平性についての働く人の認識からも生まれるという。つまり、組織内で公平に処遇、扱われていないという認識が非倫理的行動を誘発するというのである。生産現場はバブル崩壊後長年にわたって厳しいコスト管理、人員削減、雇用の多様化、技術革新、顧客ニーズの多様化への対応など激しい環境の変化にさらされてきた。こうした中、十分報われていない(組織的公平がない)という認識が広がっているのかもしれない。

一連の報道に関して以上のような点を改めて考えさせられた。今回のニュースを他山の石として肝に銘じたいものである。

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