母性原理社会日本のジョブ型人事

コロナ禍の在宅勤務が話題になって半年になる。この間、在宅勤務の良し悪しや問題点、取り組むべき課題などについて様々な識者が発信している。書店に並ぶ新刊もこのテーマのものでにぎわっている。中でも、人材育成・評価処遇の在り方については、同じ職場で日々顔を突き合わせて仕事する環境が難しくなり、コミュニケーションの在り方や、上司部下の関わり方、マネジメントの在り方、評価をどうしていくか等、現場の戸惑いは依然多いようである。特に、部下の仕事ぶりと職務成果をどう評価するかについては、従来の職能資格要件に基づく評価が難しいという声が多く、ジョブ型に変革していくべきだという論調が多い。つまり、部下の仕事ぶり(職能の発揮の観点での行動事実)が十分把握できない状況であるのだから、部下の仕事内容と期待成果を明確に規定してそれに基づいて評価するという考え方である。そのためには、職能という人基準ではなく仕事基準で格付け制度(組織的位置づけと職務基準、処遇基準)を再構築する必要があるというものである。こうした成果主義は義務を果たしたり、能力を発揮したりした者だけを認めるという欧米にみられる父性原理が背景にある。バブル崩壊後一挙に広まった考え方でもある。一方、日本社会においては仕事の成果よりも努力を重視する風潮があり、みんなを平等に受け入れるという平等主義とも相まって母性原理が社会に根強くしみわたって、益々その傾向が強くなっているということが言われている。こうした母性原理社会では、すべてを温かく包み込み、心の支えとなるという肯定的な面がある反面、過保護になり成長を妨げるという否定的な面があることが指摘されている。半面、能力を発揮できない人や義務を果たさない人に厳しい父性原理社会では、強い人を育てていくといういい面がある反面、弱者に対する厳しさが人を萎えさせるともいわれている。両方ともに一長一短あるわけであるが、こうした母性原理社会日本におけるジョブ型人事とはどういうものがいいのであろうか?

こうしたことに対して、日本の母性原理が生み出す「努力主義」や「平等主義」を考慮した評価の在り方が問われている。つまり、それぞれの社員の努力の妥当性(=仕事の取組やプロセスの妥当性)を認め、評価の格差を日本人の感受性を考慮したものにするといったことである。こうしたことが考慮されず、ただ職務成果で評価し、格差を明確にするだけでは弱肉強食的な組織風土を助長し、日本人の倫理観を崩壊させるという意見もある。成果主義がなかなか日本に適切に根付かないのはこうしたことが背景にあるのではないか。日本人のこうした感受性を活かしつつ、頑張った人、成果を出した人が報われる評価・処遇の仕組みをどう作り上げるか、なかなか難しいテーマであるが、今問われているジョブ型人事への転換はこうした点を十分考慮する必要があると思われる。特に、ドメスティックな事業形態をとっている企業は、グルーバル展開をしている企業とは一線を画して考える必要があるように思うは私だけだろうか。

本コラムを含むメールマガジンを隔月で発行しております。
ご希望の方は hp_info@hpt-lab.com 宛てに、氏名、勤務先を明記の上、件名「メルマガ希望」とし、メールを送ってください。
尚、場合によりお断りさせていただく場合もございます。予めご了承下さい。